実在性プロデューサー
4月12日に開催させていただいたICMAS2020で私は実在性プロデューサーというタイトルで発表を行いました。 ICMAS2020の発表アーカイブはこちら。
本記事はその発表内容を今更ながらこちらでも展開させていただきたいと思います。
- はじめに
- 2点目「「アイドルマスターのプロデュース」はゲームの中だけのロールプレイングに止まらず、現実世界でもプレイヤーはプロデューサーとなり得る」
- 1点目「アイドルマスターシンデレラガールズは、解釈の自由度が高いゲーム性を持つ」
- 3点目「プレイヤーごとに様々な解釈があることを前提とし、その解釈を共有することでアイマス の可能性や世界観は無限に広がる」
- おわりに
はじめに
この発表は端的にいうと以下の4点がキーメッセージになります。
- アイドルマスターシンデレラガールズは、解釈の自由度が高いゲーム性を持つ
- 「アイドルマスターのプロデュース」はゲームの中だけのロールプレイングに止まらず、現実世界でもプレイヤーはプロデューサーとなり得る
- プレイヤーごとに様々な解釈があることを前提とし、その解釈を共有することでアイマスの可能性や世界観は無限に広がる
- 楽しい!
少し発表した際の順序と異なるかもしれませんが4行にまとめると以上のになります。
以下でさらにその内容を掘り下げます。よろしければお付き合いください。
先に簡単な2点目の話をさせてください。すぐに終わります。
2点目「「アイドルマスターのプロデュース」はゲームの中だけのロールプレイングに止まらず、現実世界でもプレイヤーはプロデューサーとなり得る」
他コンテンツであまり見かけない、アイドルマスターシリーズ独自文化として知られているのが「名刺交換」だと思います。
どの界隈でも「~~めっちゃかわいい」「わかる」「それな」のような会話はあり、演者へのプレゼントといった形でキャラクターやコンテンツへの愛の発露が為されていると思います。一方で、アイドルマスターシリーズはその愛を他の同じプレイヤーに向ける傾向が強いと感じています。
初めがどのようなものだったのかは知りませんが、今では「〇〇担当の、~~と申します!よろしくお願いします!」と自己紹介した後に、「うちのアイドルをよろしくお願いします!」のように、その日のライブの活躍を見てほしいという宣伝や、ゲームイベントに参加してほしいなどの勧誘、CDなどを買って楽曲を聞いてほしいという販促などが非常に自然な流れで行われています。
ただのプレイヤーが販促・宣伝・勧誘を当たり前のように行うというのは非常に興味深く、ダイマ文化がコンテンツベースで根付いており、ゲームという枠組みを超えてゲーム内の役割を演じ続けているということになるのではないでしょうか。これって何気にスゴい気がする。
ここまではアイマスPだと感覚的にも実際的にも特に違和感がないと思います。
問題はここからです。
1点目「アイドルマスターシンデレラガールズは、解釈の自由度が高いゲーム性を持つ」
さて、そもそもゲームの自由度とはどのようにして生まれるのか?
よく言われる自由度の高いゲームデザインにGTAVやゼルダの伝説BoWのような、「オープンワールド」というものがあります。プレイヤーは広い世界を自由に移動し、NPCと交流したり敵と戦ったりします。
アイドルマスターは当然そのようなゲームではありません。
ジャンルとしては育成ゲーム、シミュレーションゲームに該当します(箱マスより)。
プレイヤーはアイドルのプロデューサーとなり、新人アイドルをトップアイドルへと育て上げる。
恐らく現実にも「アイドルを見出し、レッスンや仕事のスケジュールを調整し、時には自分でレッスンを担当し育てていく人」はいるはずで、その事象・体験を仮想的に行う(シミュレーション)ゲームになります。
シミュレーションゲームは元々戦争を再現したボードゲームのジャンルを指しました。 1最も古くだと紀元前の古代インドにあったチャトランガというゲームまで遡り、そこから将棋やチェスが生まれたと言われています。そこから19世紀頃、今のウォーシュレーションゲーム(ストラテジーゲーム)の原型になったクリークスシュピール(Kriegsspiel)が登場しました2。
クリークスシュピールはゲームではなく、複雑な状況から判断を下し命令する、指揮官としての能力を育てる教育ツールでした。そのころはまだコンピュータシミュレーションというものはありませんでしたが、指揮官というロールを与えられたプレイヤーが兵士を模したコマを動かして勝利条件を達成するという目標や、ヘックスタイプマップやユニットの能力、ターン制のシステムは既にこの時点で存在していました。
ゲームのプレイヤーは指揮官やプロデューサーといった、何らかの役割(ロール)を持ってゲーム世界に降り立ちます。キャラクターの役割を演じることになるため、ロールプレイングゲームもシミュレーションゲームの要素を含みます。その際にプレイヤーキャラクターはどのくらい多くの属性、設定(ペルソナ)を持って、その役割を演じるのか(以降「ペルソナの具体度」と表記)によってプレイスタイルは変化していきます。
ペルソナ…ユングによって「人間の外敵側面」と定義された概念で、元々は役者の仮面のこと。本記事では、「他者から見た自分をその場の状況に応じて適切に変化させるために利用する属性」と定義。ペルソナ (心理学) - Wikipedia
言ってしまえば多くのゲームは。"ごっこ遊びの延長"と言うことができ、メインキャラクターや自分で作ったキャラクターになりきって(ペルソナを被って)プレイするということになります。
さて、現代におけるシミュレーションゲームは、以下の3つに大別されます。
- ウォーシミュレーション(ストラテジー)ゲーム(例:スーパーロボット大戦シリーズ、ファイアーエムブレムシリーズなど)
- 経営・育成シミュレーション(例:シムシティシリーズ、たまごっちシリーズなど)
- 実機シミュレーション(例:電車でGOシリーズ、グランツーリスモシリーズなど)
アイドルマスターはこの中では2番の育成シミュレーションゲームに該当します。
アイドルマスターにおいてはプレイヤーはプロデューサーのペルソナを被り、アイドルのプロデュースを実行します。 また例えば、レースゲームのような実機シミュレーションタイプのゲームだと、プレイヤーはプレイヤーとしてゲーム世界に参加し、ドライバーとしての役割のみを与えられます。一方で、ファイナルファンタジーシリーズのようなRPGだとプレイヤーは役割や外観、過去、人間関係などの多くの情報を持つキャラクターというペルソナを被って冒険を進めます。
アイドルマスターのプレイヤーの被るペルソナの具体度は中間程度に位置すると考えられます。 アイドルマスターシリーズのペルソナは、キャラクターほど具体的ではないが、役割や簡単な設定(社会人数年目の若手社員、多くの場合男性、など)があります。 以下にルソナの抽象度によって分けた図を示します。
さて、ここまではアイドルマスターシリーズを総合した「プロデューサーのペルソナ像」について話をしてきました。(長くてすいません) ここからはアイドルマスターシリーズの中でもシンデレラガールズや765プロ、283プロでペルソナ像を更に分類していきます。
元々シンデレラガールズ(モバマス)はペルソナが非常に抽象的です。そもそも所属しているプロダクション、会社でさえ決まっておらず、容姿や性格、セリフもほぼ不詳です。状況を説明するセリフや選択肢のみで構成されており、あえて情報量を減らしていることがわかります。
例えばその真逆の例としてシャイニーカラーズ、283プロダクションのプロデューサーがいます。カード内で要素の一部が見えている(結華、真乃、甘奈pSSR等のカードで確認可能)。また、セリフも具体的な会話が多くイケメンofイケメンであることがそこかしこから漂う。
情報が少ないことはマイナスだろうか?
個人的には、情報量が少ないということはより自由度が高くなることだと考えています。
情報量が増えれば増えるほど、公式やストーリーの中の正解という規定が生まれてしまいます。例えば、北条加蓮というアイドルが幼い頃病気にならなかった世界線があるとしましょう。もちろん世界線解釈としては当然アリです。一方で、この解釈をプロデュースしている公式時空の設定として取り入れて、「この解釈だってありえるじゃないか!」という人は流石にいないでしょう。メモリアルコミュで既に語られており、公式から情報が提供されているからです。
逆に、北条加蓮が入院していた際に柳清良さんと出会っていたのではないかという解釈があります。この点については、加蓮のコミュ、清良さんのコミュどちらを読んでもまだ情報としては不確定です。 情報量が制限されることで、「複数の解釈で、前後関係の整合性が取れてしまう」状態を作ることができます。今の加蓮ー清良関係で説いても良いですし、担当していた看護師さんが後から加蓮の活躍を見てアイドルオタクになる世界線でも良いでしょう。看護師さんと加蓮のその後の人生は交わることが全く無いという世界でも良いでしょう。 もし、今後公式から清良さんが勤めていた(実習を含む)病院が加蓮の入院していた病院である、もしくは全くありえない場所にある(関東圏外とか)という設定が供給されたら、この解釈に対しての深堀りが進みますね。(個人的には関係性があってほしいです。)
情報量が少ないゲーム、楽しいじゃないか。二次創作が捗りますね(自分はできませんが)。個人的にいろいろな人の解釈をいっぱい聞くのが好きなので二次創作は宝の山のように感じています。
自由度が高いゲームは、各キャラクターが同じ設定を持ちながら異なる人物として解釈することが可能です。なぜならば先に述べたように、あらゆる可能性があり得るからです。
つまり、「自分が育てているアイドルと他のプロデューサーが育成しているアイドルは、すべて異なる存在である」と解釈できるのではないでしょうか?
私が育てている北条加蓮は、「最初に捻くれたことを言っていてほとんど採用されなかったものの(初期R)、ある時を境に急に実力が伸び(制服加蓮)、一軍ユニットとして他プロとのLIVEバトルに投入された」、そんなアイドルです。そこからのんびりした私のプロデュースに付き合ってくれています。
プロデューサーによっては、最初から最強のアイドルとして降臨してくれていたかもしれません。デレステからのプロデューサーは、寂しそうな目をした少女に優しく声をかけ、人生あきらめムードから連れ出した(メモリアルコミュ1)ところからのスタートかもしれません。
ほら、全然違う存在でしょう?
もちろん過去の設定、現在の立ち位置を描く各カードのおかげで、マイルストーン的に共通する要素をもちろん含んでいます。一方で、アイドルとして所属してもらってからの冒険は全て、プロデューサーごとに異なってきます。ちょうど始まりの街で相棒と出会い、幾多の壁を乗り越えて四天王に挑戦する、ポケモンマスターを志す少年少女のように。
3点目「プレイヤーごとに様々な解釈があることを前提とし、その解釈を共有することでアイマス の可能性や世界観は無限に広がる」
さて、ここまでで自分と各プレイヤーが異なる存在であり、担当しているアイドルも異なる存在として解釈できるという持論を展開してきました。 最後にここで生まれた異なる存在を融合させることについて述べます。
異なる存在を育成しているという話をしましたが、シンデレラガール総選挙のように一人の共通したアイドルを複数名が選んで投票することがあります。これは誰に投票していることになるのか?
ここで理系の厄介思考を導入します。 各プロデューサーが抱いている、同一アイドルへの別認識という現象を以下のように定義しました。
あるプロデューサーXは、あるアイドルAを育成します。ここでは便宜的にXを私Nestle、アイドルAを北条加蓮とします。 公式から与えられている、北条加蓮という女の子の実像をAとし、そこに私の解釈xをかけて、Axとして私の認識を定義します。
そして、今この怪文書を読んでいるあなたをyとすると、北条加蓮に対して抱いている認識はAyとなります。
ここでxやyというのは、各プロデューサーのそれぞれの価値観や持っている知識というものを内包した、"状態"であると定義します。
例えば、「さよならアンドロメダ」という曲を解釈する際に宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を用いて考察した方がいらっしゃいました。自分は銀河鉄道の夜を読んではいたのですが、そこまで読み込んでいなかったためその発想に至りませんでした。ただ、この考察を読んでから銀河鉄道の夜を読み直すと、これがとても面白い。語りたいことは多々ありますが、続きは是非とあるざわPさんのnoteをご参考ください(これは転載ではなく引用と思っていただけますと幸いです)
話を戻します。
どのような価値観を持っているのか、どのような知識を持ってアイドルとの関わりを持っているのか(そこまで重たく考えずライトな意味合いを含む)で、アイドルに対する認識、ひいては尊みの感じ方が全く異なってきます。
認識が異なるということは更にその愛の形やその発露の仕方も大きく異なってくるはずです。
レベルMAXまで育成することかもしれない、
イベントを全力で走ってランカーになることかもしれない、
絵や小説を書くことかもしれない、
芋を育てることかもしれない。
この溢れた愛を他者へ伝える行為が、俗に言うダイレクトマーケティング(ダイマ)です。 先の別認識定義で作った式を用いて、ダイマによって起こる認識の変化を表しました。
これをダイマ方程式と呼びます。(引用はご自由にどうぞ)。以下に式を示します。
ややこしいので深くは説明しません(質問はいつでも歓迎です)が、重要なのはダイマは言語化する際や、伝え方、相手の受け取り方によるバイアスが含まれるということです。
多くの場合はダイマは貴方が期待した通りに受け取られません。
一方で、相手が貴方のダイマを受け取って影響された結果のA'は必ず少しは変化するはずです。その結果をもう一度受け取ってみてください。もちろんその際にもバイアスがかかりますが、貴方に必ず影響を与えるでしょう。
同じ内容を話しているかもしれません。それでも相手から話された内容というのは、しっかりと耳を傾ければ貴方の中に新たな解釈、扉、深堀りという効果を与えてくれるはずです。
おわりに
さて、いい加減そろそろ締めましょう。
私は各プロデューサーが持っているアイドルの解釈は全て実在しうるものだと思います。 平行世界の中で、あり得た世界です。
それらが一つ一つの星であり、それらがつなぎ合わさって星座となり、アイドル(偶像)の実像が浮かび上がる。
そしてさらに、その星々が繋がり合い互いに影響を及ぼし合い、新しい星がどんどん生まれて、宇宙がどんどん広がり続ける、
アイドルマスターシンデレラガールズはそんな作品だと思います。
様々な解釈があり、様々なプロデュースの仕方、結果が全て内包されたそんな世界があると思います。
私の解釈があります。貴方の解釈があります。それらが組み合わさったら、少なくとも私の中でまた新たな解釈が生まれます。どんどん広がって行く可能性を追いかけ続けたいです。
どれだけ拙くても良い、どれだけ独りよがりでも良い、まず共有してみませんか?
というのは、私がライブの後とかでやる打ち上げの場でこういう話を良くするからです。
「貴方にとって担当とは?」
「担当のどういうところに惚れこんだのか?」
こういう話を良くしています。
同担Pでもぜんぜん違う解釈が多いです。
でもその結果として私のプロデューサーとしての解釈の幅、もとい器が大きくなっていく気がするのです。
世界が広がる、視界が開ける、この感覚は他者と価値観を共有して初めて得られるものなのだなと気づきました。
話すことの、共有することの楽しさを改めて教えてくれたアイドルマスターに感謝しています。
よろしければ、貴方の担当アイドルについて教えていただけませんでしょうか?